「みんなと同じ」は本当に安心をもたらすのか?
こんにちは、あやです。
突然ですが、あなたのマスクは何色ですか?
私は、日本に来てからマスクをするようになったのですが、いつも色付きを愛用しています。
仕事上、接客をするのでマスクは必須なんですが、以前の職場では80%が「白」でした。
男性社員の中には、灰色の会社のロゴ付き布製マスクを使っている方もいたのでね。
でも、今の会社に来たら、私以外、全員が「白」なんですよ。
そこで、
手元にある在庫も少なくなってきたので、次は白いマスクにしようと、ネットショップをチェック。
それにしても、いろんな種類がありますね。
白いマスクでも、「耳が痛くならない」とか「小さめサイズ」なんかもあって「値段もいろいろだな、何が違うんだ?」とか見ながら、
耳紐が違うバイカラーなんてあるんだ。かわいい・・・なんて思い始めて
アイボリーホワイト?真っ白じゃないのか。いいかも・・・となり、
いつの間にか、白以外を探し始めてる自分がいました。
でね、結局、注文したのは「白」じゃなかったのです。
ところがその翌日、職場に行ってハタと気づきました。
「白いマスクを買おうと思っていたのに!」と。
そうしたら、笑いが込み上げてきちゃってwww
「わたし、なにやってんだよ」って。
あえて白以外にしたわけじゃなくて、もうそれこそ無意識にそうしてるんですよ。
なので、何で自分は、白いマスクを買わないんだ?買いたくないのか?と、しばらく自問自答をしてみました。
で、思い浮かんだのが、
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みんなと一緒は恥ずかしい。
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そんな感情だったのですよね。
多くの人は「みんなと一緒が安心安全」って思うじゃないですか。
これは、種の保存という生物の使命としては、当たり前のことです。
特に日本人は、子供の頃から「みんなと同じ」を徹底的に叩き込まれますしね。
なのに、なんでかなぁ〜?
子供の頃、親からも「普通が一番なのよ。普通にしなさい」と言われ、クラスメイトからは「普通じゃない」といじめにあって。
それでも、我が道を行くことを止めなかったんですよ。
そしてまた、仲間外れにされるという(笑
そんな私にとって「みんなが白だから白にしよう」は理由として不十分で、それよりも自分の好みを優先した方が落ち着くのでしょうか。
マスクの色なんて、どーでもいいことのようでいて、実は、その人の前提と意図が現れているものなんですね。
あなたのマスクの色は何色ですか?
それは、何故ですか?
Love you...Aya